<1>

「キス、していい?」

誰もいない生徒会室で、ディアッカはミリアリアの腕を引きながら艶のあるト−ンで囁いた。
彼の声は独特の響きを放つ。その声で呼ばれる時が、幼い頃からミリアリアの
至福の時だった。
初夏の風が窓から二人の立つ部屋の奥まで入り込む。
ディアッカの身体が盾になってるはずなのに、その風はミリアリアの頬を掠め、
否が応でもここがあの時とは違う場所だと認識させる。

なんて事を言い出すのだろう?ミリアリアは身体を硬くしたままディアッカの言葉を
頭の中で反駁した。からかってるんだろうか?
小さい頃から大好きで、でも、今はどうしてか恥ずかしくてろくに見る事も
できなくなってしまったあの笑顔で。
なぜか自分には甘く優しげに聞こえてしまう、あの低く艶のある声で。

ミリアリアは頷く事も、顔を上げる事もできず、壁とディアッカに挟まれたまま項垂れていた。
見上げたら、絶対に超がつくほどの至近距離に、あの顔があるはずだ。
言葉を口にしたら人の気も知らないで、あの声で自分の名前を楽しそうに呼ぶに決まってる。
そう思うと、ミリアリアはまるで冷凍の魚のように硬直してるしかできなかった。




<2>

「キスしていい?」

そう言った後、ミリアリアがまるで電信柱のように立ち尽くしてしまったので
ディアッカはひどく落ち込んだ。彼はすぐ様、己の短慮を悔いたがもう遅い。
ミリアリアの沈黙は彼にとっての拒絶を意味する。

早すぎた・・・でも、どうしたらいい?

幼い頃から誰よりも大切に愛しく思っていたのだ。自分が13歳になった年に
父親と国へ戻らなくてはならなかった時、ディアッカは本気で父親と自分の
生まれた国の「13歳の成人の儀式」を疎ましく、苦々しく思ったものだった。

再会して、ディアッカは再びミリアリアに恋をした。
他の誰でもだめなのだ。この子が、いい、と。

触れたいと思うのはいけないだろうか?
抱きたいと思うのは野蛮だろうか?
キスをして全部自分のものしたいと思うのは禁忌だろうか?
・・・もっとも自分にミリアリアの嫌がる事などできはしない。
嫌われたくないのだ。
ようやく、こうして一緒にいれるようになったのだ。
男として見られなくとも、花のような無邪気な笑顔を消し去りたくはないのだ。

ディアッカは小さくため息をついて、掴んでいたミリアリアの腕をそっと離した。




<3>

彼は夏の静けさが好きだった。
蝉やらクラブ活動の掛け声やら、[音]は確かに世界に満ちてるのに、
ひんやりした室内に彼女と対峙していると、まるでここが海の中のように感じる。
深海というより光が薄く柔らかく差し届く、波のゆるやかな海域…

そこで響く彼女の声は曲線を描きながら、ゆっくりとディアッカの神経を
揺らし始める。

「ミリアリア」

彼の声が、ゆるやかな波に細かな円を幾重にも散らす。

その音もまた、彼女の神経を甘く揺らすのを彼は知らない。





<4>

「ごめん、ミリアリア」

頭上で聞こえる声が二人だけの生徒会室で、やけに響く。
ミリアリアは重たい頭を何とか持ち上げた。まるで重力が自分にだけ
加えられたよう。重い、苦しい。
ディアッカの顔が、想像以上にまじかにあった。アメジストよりももっともっと
綺麗だと思うその瞳は、少し悲しそうにミリアリアを見つめていた。

「軽蔑されちゃった?」

反射的にミリアリアは首を横に振った。違うのだもの、ビックリして、それで・・・

ミリアリアの必死の首の振りようは、おもちゃのようで、
さすがにディアッカにも笑みが零れた。

「良かった。もう、二度と言わないから・・・」


ミリアリアは目をパチパチさせてディアッカの言葉の意味を考える。

キスしていい?・・・そうディアッカは言ったのだ。
でも、どうして?なんであたしに?
それって、それって・・・
どういう意味に取ればいいの?
どういう意味に取っていいの?

ディアッカの周りにはいつも凄い数の女の子がいる。皆、とても綺麗で
とても可愛い。何よりディアッカ自身が例えようがない位に美しいのだ。
自分に彼が優しいのは「幼馴染」だからで。
あたしが思うようにディアッカがあたしを思ってくれてる訳ではなくて。

ディアッカが転入してから、ミリアリアは何人もの女の子達から辛辣な
言葉を浴びせられた。「幼馴染だからって」・・・と。
そしてこうも言われた。「幼馴染でしかない」・・・とも。

そして、今、ディアッカは言ったのだ。
もう、二度と言わないと・・・

そこまで考えた途端、ミリアリアの目からポタポタと透き通った雫が
こぼれ落ちて、それと共にミリアリアの口から小さな呟きが漏れた。


「ディアッカの・・・ばかぁ・・・」




<5>

(ばか・・・?)

ディアッカは目の前で、夏の青空さえも敵わないはずの、彼の至上の宝石である
その瞳に涙を浮かべながら自分にどうやらお怒りであるらしい少女を凝視した。

(確かに今、ばか、と言われたよな?)

ディアッカは先程までに交わされた言葉のやりとりを思い起こす。

キスしたいと言ったら拒絶されたよな?
けど、軽蔑しないって、あんなに首を振ってくれたわけで。
だから俺も嫌われるのだけは避けられたと判断したわけで。
もう二度とあんな真似しないと誓ったはずなんだけど。

なのにどうして泣かせてしまう事になるんだ?
おまけに「ばか」がついてきてる。

ディアッカは必死で自分の落ち度を考えた。
それでも、どうしてもわからない。
ミリアリアに嫌われたくない。ましてや泣かせるなんてもっての他だ。

肩を微かに震わせて、ミリアリアは必死でこれ以上涙を流さないよう堪えてる。
あれ程澄んで綺麗な海の色が、赤く暗く沈んでしまっている。

「ミリアリア・・・」

ディアッカは思い切って声をかけた。
差し伸べた腕を、ミリアリアの肩から10センチ程離れた空間で
頼るものもなく浮遊させたまま。

「泣かないで。泣かせたくないんだ。
 ごめん、俺はどうすればミリアリアに泣き止んでもらえる?」

ミリアリアの嗚咽が止まった。

「ディアッカ・・・が・・・からか・・・う・・・から・・・」

搾り出すように零れるミリアリアの言葉。
違う、からかってなんてない。ただ、俺はただ・・・

「俺は・・・」

ディアッカは外からの風に背を向け、深呼吸をした。

「ミリアリアが好きなんだよ」